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東京高等裁判所 昭和54年(う)1724号 判決

被告人 市野勤

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中七〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人堀口嘉平太作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官藤岡晋作成名義の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論第一点(事実誤認ないし訴訟手続の法令違反を主張する論旨)は、要するに以下のようにいうのである。原判決は、被告人の司法警察員に対する昭和五三年一一月六日付供述調書、検察官に対する同月一三日付供述調書および同月八日付上申書記載の各供述中被告人が日本国内に搬入した本件電気スタンドの脚部の空洞内に覚せい剤が隠匿されていることを知つていた旨の自供ならびに空港内で被告人の逮捕にあたつた警察官の証言中逮捕の際の被告人の様子が尋常ではなかつた旨の供述などを採用し、これに対して、被告人がその弁解として、本件電気スタンドは当日台北空港で石原という男から息子の結婚祝にといわれてもらつた物で、その中に覚せい剤が隠されていることは知らなかつた旨述べているところは不合理で信用できないとして排斥したうえ、右知情の点を認定した。しかし、被告人の右自供は、勾留の苦痛に耐えかねた被告人が取調官に誘導されるままになした虚偽の自白であつて、任意性を欠き証拠とすることができないものである。仮にそうでないとしても、右自供は、自供に至つた経過や自供内容の不自然さなどからして全く信用できないものである。また、たとえ空港ロビーで突然警察官から声をかけられ、取調室に連行された被告人の態度に平静を欠く面があつたとしても、それは一般的にあり得ることであつて、何ら異とするに足りないし、前記被告人の弁解も不合理とはいえない。そうであるにもかかわらず、被告人の前記自供を採用し、右のような情況証拠と合わせて右知情の事実を認定した原判決には、刑訴法三一九条一項に違反して自白を採用した訴訟手続の法令違反又は証拠の価値判断の誤りによつて、無実の被告人を有罪とした事実の誤認があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

右所論に対し、以下のように判断する。

先づ被告人の自供の任意性および信用性について検討することとする。関係証拠、殊に被告人及び原審証人梅田重夫の原審公判廷における各供述によれば、本件に対する被告人の供述の変遷経過は、原判示のとおりであつて、被告人が一時所論のような自白をするに至つたのは原判示第一事実につき起訴された後のことであること、右自供は、被告人が逮捕されてから右起訴になるまで知情の点を否認し通したのに起訴されて心理的に動揺していた際に、梅田警部補から自白を勧められ、保釈や情状酌量を期待してなされたものであること、梅田は被告人に自白を勧めるにあたり、脅迫されてやつたのなら無罪ということもありうるとか、否認のままでは保釈や執行猶予はとてもおぼつかないなどという話ぐらいはしたが、不当な誘導或いはいわゆる約束にわたるような行為には及んでいないことが認められ、被告人の原審公判廷における供述中右認定に反する部分は信用できない。これらの事実に徴すると、被告人の自供がいずれも任意になされたものであることは明らかである。また、各自供調書及び上申書の信用性について検討してみるのに、その自供内容のうち、被告人が本件覚せい剤の運搬を託された石原から、帰国当日ホテルニユーオータニに渡辺一郎名義で部屋を予約してあるので、そこで連絡を待ち、引き取りに来た者に覚せい剤を引き渡すように、と聞いてきたとの部分については、記録上ホテルに該当する予約のないことが明らかであり、その余の自供内容についても、石原なる人物の存在を含め全く裏付けを欠くのみならず、借用証(写)についての供述はまことに要領を得ないものであり、また、脅されてやむなく本件犯行に及んだとする点などは、右梅田の話にヒントを得た作り話ではないかと思われる節があり、その他前記自供の動機なども合わせ考えると、右自供をあまり重視することはできない。しかし、少なくとも、被告人が右自供をするより前に、弁護人から本件は長期の刑を覚悟しなければならない重罪である旨を聞かされていたのに、保釈や情状酌量を期待して自白したということは、そのこと自体被告人の知情の点を推認させる一事情であるとも考えられるので、原判決が、被告人の自供はその任意性に問題がないことや、後記のように被告人の否認供述が不合理で採用できないこと、逮捕前後の被告人の言動などに照らし、知情の限度で信用できる、とした判断も首肯し得るものというべきである。そこで次に被告人の捜査段階および公判廷における前記のような弁解に合理性があるか否かについて検討することとする。仮に被告人の弁解のとおりだとすると、石原が情を知らない被告人を利用して覚せい剤を密輸入しようとしたことになるわけであるが、このような方法では当該覚せい剤を回収できなくなるおそれがあり、また本件捜査の端緒からみて、何人かが被告人を罪に陥れようと計つたのではないか、といつたことを想定してみても、それにしては覚せい剤の量があまりにも大量であつて、いずれも不合理である。さらに台湾の覚せい剤密売組織が何も知らない被告人に本件覚せい剤を持たせることによつて犯跡をくらませようとしたのではないかとの所論も、単なる憶測の域を出ないものである。その他被告人の石原なる人物についての供述があいまいで、同人が被告人の息子に結婚祝を贈るような間柄にあつたとは思われないうえ、本件電気スタンドは新品ではなく、結婚祝の贈り物にはふさわしくないこと、被告人の署名押印のある二〇〇万円の借用証(写)についての被告人の弁解が、捜査段階、前記自供時、原審公判廷と三転しているうえ、原審公判廷における供述も不合理でとうてい真実を語つたものとは認められないことなどを考え合せると、本件についての被告人の弁解はあまりにも不合理であつて、とうてい信用するに価しないものというほかはない。また原判決が、原審証人寺川悦郎、同藤野武志の、被告人が現行犯として逮捕される前後の様子は尋常ではなかつた旨の供述を被告人の知情の点に関する一つの情況証拠として採用したことは相当であつて、経験則に反するものとはいえない。以上要するに、原判決が、被告人に本件覚せい剤を持ち込む認識があつたことについて詳細に説示するところはまことに相当であり、原判断は正当として是認できるから、原判決に事実誤認ないし訴訟手続の法令違反はなく、右論旨は理由がない。

所論第二点(訴訟手続の法令違反を主張する論旨)は、要するに、原判決は、罪となるべき事実の認定にあたつて、被告人が台湾から日本に持ち込んだ電気スタンドの中に覚せい剤が隠匿されていた事実のほかは、捜査官らが台湾の捜査当局から入手した情報およびその他の伝聞証拠によつてこれを認定しているのであつて、この措置は、刑訴法三二〇条の伝聞証拠禁止の規定に違反し、ひいては犯罪の証明がないのに被告人を有罪としたもので、同法三三三条にも違反し、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

右所論に対し、以下のように判断する。

原判決が、台湾の捜査当局からの情報を証拠に採用して原判示罪となるべき事実を認定したものでないことは、原判決の挙示する証拠及び「弁護人の主張に対する判断」中の説示に照らして明らかであり、所論中右の部分はその前提を欠くものである。また、原判決の挙示する証拠のうち、いわゆる伝聞法則の適用を受けるものについては、それぞれ刑訴法所定の要件をみたしたもののみが採用されたことが記録上明らかであつて、同法三二〇条違反をいう余地はない。そして、被告人が、前記のとおり知情の点を含め原判示罪となるべき事実にあたる行為をしたことは関係証拠上明らかであるから、同法三三三条違反をいう点も失当であり、右論旨は理由がない。

所論第三点(法令適用の誤りを主張する論旨)は、要するに、本件は保税地域を経由しない覚せい剤の密輸入事犯であるから、覚せい剤取締法の輸入罪たる原判示第一の罪と関税法の無許可輸入罪たる原判示第二の罪とは想像的競合の関係に立つものであるにもかかわらず、両者を併合罪として処断した原判決は法令の適用を誤つたもので、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

右所論に対し、以下のように判断する。

東京国際空港東京税関羽田出張所旅具検査場が保税地域として指定された場所でないことは所論の指摘するとおりである。しかし、覚せい剤取締法一三条にいう輸入とは、その立法趣旨等からして、覚せい剤を陸揚して本邦に運び入れる行為をいうのであり、覚せい剤が本邦に陸揚されれば、直ちに輸入は既遂に達するものと解されるのに対し、関税法にいう輸入とは、外国から本邦に到着した貨物を関税線を通過して本邦に引き取る行為をいうのであつて(関税法二条一項一号参照)、保税地域を経由しない場合であつても、本件空港の如く、税関の旅具検査場が設けられ、本邦に到着した者はここで所定事項を税関長に申告し、輸入しようとする貨物につき必要な検査を経てその輸入許可を受けることによりはじめて当該貨物を場外に持ち出すことが可能となつている場所では、密輸入しようとする貨物を所持して国外から空路空港に到着しただけではまだ関税法の無許可輸入罪の予備の段階に過ぎず、その後、当該貨物を除外した申告書を税関に提出するなど税関長の許可を受けないで貨物を旅具検査場を経て場外に持ち出す行為が開始されたときに同罪の実行の着手があるものと解するのが相当である。してみると、本件では、覚せい剤取締法の輸入罪は被告人が本件覚せい剤を所持して空路東京国際空港に到着した時に既遂となつたのに対し、関税法の無許可輸入罪は右時点では未だ実行の着手はなく、その後空港の東京税関羽田出張所旅具検査場において覚せい剤を故意に記入していない申告書を提出した時に同罪の実行の着手があり、覚せい剤を隠匿携帯したまま同所を通過した時に既遂に達したものと認められる。そうだとすると、本件では右両罪にあたる被告人の行為は、自然的観察のもとにおける社会的事象としても重なるところがないのであるから、両罪を併合罪として処断した原判決の判断は正当であり、右論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条により当審における未決勾留日数中七〇日を原判決の刑に算入することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 堀江一夫 石田穣一 浜井一夫)

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